磁器のお茶碗

私は子どもを生んで、彼らが自分の食器をもつようになって以来、ずっと陶器の食器を娘たちに使わせている。出産祝いとして生徒のお母さんからいただいたウェッジウッドのカップとソーサー。カップには二つの取っ手がつき、ソーサーは深めのもの。長女が3年、その後は次女、食器リレーをし、大切に使っている。

子ども用の食器というと、割れにくいプラスチックのものが一般的だが、私は子どもたちに敢えて磁器を使わせ、磁器のもつ、冷たい水を入れたときのひんやりするあの感覚とコップも汗をかくんだなあという発見、熱いスープを入れたときのぬくもりを肌で感じて欲しいと思っている。「熱いから、気をつけて、ゆっくり口に入れよう」彼らは自分自身で注意するようになった。妹に向かって、「そんなところに置いたら、落ちて割れちゃうよ!」とお姉ちゃん。

そうです。陶器は割れ物です。子どもだって、ずっしりと重い磁器の器を日々手にしていると自然とわかってくるのだ。陶器の食器をもつ手は、まるで私がワイングラスを洗うように注意深く、やわらかい。

「形あるものは必ず壊れる」食器に限ったことではない。硬いもので他人の頭をたたけば、頭だって壊れるし、皮膚だって破れてしまう。そんな感覚を肌で身に付けられるのなら、割れた食器を片付けることや買い直すことなんて、お安い御用ではないか。

 

2004年12月22日
ある日の日記より