『からすのパンやさん』

偕成社 かこさとし

ご存知の方も多いこのシリーズ。小学生のときによく読んだ。学校の図書室には黄色い表紙のこの『からすのパンやさん』が何冊も並べられていたので、いつもの棚にあの本がない!ということはなかった。本嫌いの私は、図書の時間が苦痛で、毎時間同じ本を読んでいた。
本の中のパンは本当にどれもおいしそう。給食前の4時間目に読むと、お腹がグーっと鳴ってしまいそうでびくびくしていた。
私は、パンが大好きな子どもだった。
私の母はよくパンを焼いてくれた。形にこだわる人なので、パン作りに必要な道具を全てそろえ、形状や時間、分量など、全部、本の指示通りに行っていた。 でもこの本のからすたちは超適当にパンを焼いている。しかも、どれも見事だ。本の通りか目分量か、どちらが正しいのか分からないまま、私は大人になった。
社会に出た私は小学校に配属され、晴れて「先生」になった。二年生を受け持つことになった私は、自分の子供時代にはなかった生活科という聞きなれない教 科を教えることに当惑した。人間、経験がないという事実はこんなにも己を保守的に且つ不安にさせるのかと悟った記憶がある。それでもやらなければいけない 課題が次から次へと私のもとへと押し寄せてくる。
教師の世界には研究授業という公開授業がある。私は教科書にも指導書にもない前代未聞のパン作りを選んだ。おかしな指導計画だったが、学年主任の支えがあり、異例の教室パン屋さんが始まった。今でも鮮明に覚えている。40数人のクラスの子どもたちをいくつかのグループに分け、チームで一つの大きなパンを 作ることにした。パンのデザインも子どもたち自身で考えた。比較的勉強ができ、リーダー格の子どもが集まった班は、鳥パンをデザインしていた。鳥の形状に こだわった美を求めるチームだった。それと対照的に、穏やかタイプの子達が集まった班は、先生パンというものを作っていた。丸めたパーツを順々に組み合わ せた素朴なパン。生地を発酵させると生成りのふわっとした優しい顔が出来上がった。更にそれをオーブンで焼いたら、日焼けした夏の先生パンになった。あの 子もこの子も結構私を振り回してくれたが、手をかけただけあって、子どもたちは温かい心で私にお返しをしてくれた。そう考えたらジーンとこみ上げるものが あった。
それから数年が経過した。次に私はお母さんになったのだ。お母さんになってからも、パンを作りたくなった。だから娘たちとパンを作った。そのうちに自分 の子どもだけでは物足りなさを感じ、他人の子どもも巻き込むようになった。私のパン作りは、勢いに乗って走り続けた。自宅で開くパン教室のみならず、現地 校ではオーブン持参のサマースクールを開き、幼稚園からも呼ばれてパン作りを指導した。私は、自分が持っているパン作りに関する情報や記録、レシピ、経 験、どれも惜しみなく公開してきた。サマースクールを行った学校は学校案内のホームページに横井の名前をカットしたパン教室を掲載し、幼稚園の先生は雑誌 に、私の作ったパンの指導案を自分の名前で発表していた。なんだか後味が悪いなあ.…..とすっきりしない数年間。

今年のノーベル化学賞、クロスカップリングの根岸英一、鈴木章両教授の「特許をとらずにたくさんの人に使ってもらったほうが良いですから」という新聞記事を読み、この一言にはっとさせられた。何と謙虚な美しい言葉なんだろう。
私のパン作りをノーベル賞と比べるのはかなりおこがましいが、私も初めはそう思っていたはず、初心を忘れずとはこういうことだったのか。

2010年10月16日
ある日の日記より