『たいせつなこと』

マーガレット・ワイズ・ブラウン さく
レナード・ワイスガード え
うちだややこ やく
フレーベル館

拝啓O先生、
O先生がおととしのクリスマスに贈ってくださった『たいせつなこと』。少し時間がかかりましたが、ようやく私の心に響いてきました。書籍というのは、時 空を越えて、じわりじわりと音もなく迫ってくる魔物ですね。ある時には非常な絶頂感を与え、ある時には奈落の底へ落とし入れる。何ともまあ刺激的なもので す。物を言わない分、能動的で、存在感があります。

たいせつなことは、人によって物によって異なる。
あなたにとってたいせつなのは、あなたがあなたであること。(本文より)

表現としてはシンプルな一文。一度読んで、理解したと思い込んでしまった。(スピノザの言う「自由」と同義で使われているのかも…)と思った瞬間と同時だった。
そうだ。私が私であること。これが一番大切なことなのだ。もう10年以上も前のことだが、私は結婚という人生一大イベントを遂行する際、このことを最も重視し、清水の舞台から飛び降りた。
相手はどこの馬の骨だがわからないような現夫。出生も素性もほとんど知らなかった。本人でさえ、血液型や出生地、その他の諸事情を把握してない、いわんや私をや…。

私を貫いたもの。それは高校時代に受けた宗教(キリスト教)の授業だったのかもしれない。私の学校では、週一時間宗教の授業が課 されていた。牧師さんを講師しに招き、その人の裁量で授業が行われていた。高校3年生の私のクラスを、ある教会の牧師さんが担当した。いつもねずみ色の普 通の背広に全く印象に残らないネクタイ、髪は軽く七三に分け、眼鏡をかけていた。本当にどこにでもいるようなサラリーマン風の牧師さんなのだが、私は鮮明 に今も彼の容姿を記憶している。ほかの二年間は誰が何を教えてくれたのかさえ覚えていない。
さてその牧師さんである。私たち女子学生(女子高なので)に用意されていた授業のそのテーマは「幸せな結婚」であった。
当時私はキャリアウーマンを目指していた。結婚なんて他人事、彼の授業も眼中になかった。しかし、その内容が結構私たち女子高生を引きつけたのだ。例え ば、新婚旅行は、都市観光中心のツアーで行くよりも、のんびり型リゾート滞在が良い。その理由は、旅行の目的である「相手をよく観察理解する時間」が十分 確保できるためだ。忙しく走り回るツアーは観光地巡りに興味が移りがちで、相手をじっくり観察理解する心と時間の余裕がなくなるからだ。それに新婚旅行 は、短いとよくない。一人の人間をよく知るためには、一ヶ月程は欲しい。
こんな内容だった。一年間の持ち時間、授業数十回に渡る週1コマの授業は内容豊富であっただろう。しかし、当時私はこの授業がこんなに奥の深いものだと 夢にも思っていなかった。当然、卒業と同時にノートは廃棄された。本当に悔しいことをしたと思うが後悔先立たず。
何人かの同級生にあのノートの存在を問うてみたが、、みんな私とどんぐりの背くらべである。ノートはもちろん残っていない。幻の授業となってしまった。「そんな授業があった?」異口同音に口にする同級生たち。
私は教育に携さわる仕事に就いた。今つくづく教育の恐ろしさを感じている。そして、、私は、かつての教え通り、新婚旅行をのんびり相手を観察する時間に当て、1ヶ月の旅行計画を実行したことは言うまでもない。

  • スピノザ(Baruch de Spinoza)オランダのユダヤ系哲学者。デカルトの方法をさらに徹底させ純幾何学形式によってその体系を組み上げた。

 

『広辞苑』より 岩波書店
2010年3月15日
ある日の日記より