正解なしの学校選び(中学校編)

長女が卒業を迎えて、私は初めて知ったことがある。教育には二種類の方法論が存在するということを。あるノーベル賞学者がインタビューでこんなことを言っていた。「日本の教育はできない生徒をフォローするのが得意で、アメリカはできる生徒をもっと伸ばすのが得意だ」と。私はこれまで、自分の教育方法がどんな立場で位置づけられているのかなど考えた事がなかった。
私は日本で生まれ、日本で育った。日本の教育の傘下で、保守的だが、安穏に成長してきたように思う。その後、私は日本の教育システムにのっとり、日本の子どもたちを育てていく教育の道に進んだ。しかし、日本国内の日本人の子どもたちを育てることなく、日本を離れてしまった。
自分自身が母となり、自問する時間の多いこと。100パーセントの日本人ではない自分の娘に私が受けてきた教育も、私が学んできた教育法も通用しないのではないだろうか。時折、自分と娘を重ね合わせて考えてきた。
娘たちは香港の現地校に通っている。(中国語)香港の学校のシステムは日本のそれとは全く異なり、生徒は小学校卒業時、成績によって仕分けされる。中学校は全てランキングされ、生徒が成績順に希望の学校を選ぶ仕組みだ。とは言っても、それぞれの学校に特色があり、力を入れているところも違う。
果たして、うちの子どもはどんな学校で一番伸び代が大きくなるのだろうか。
例えば、ある子は最下位で入学しても、必死で追いつこうと死に物狂いの努力をし、ある一定時期を経た後、下克上のように下から突き上げてくる。別の子はある程度自分が優位の学校で賞賛を受けながら伸びていく。うちの長女は後者タイプだろうか。香港の学校は本人の自主性に関わりなく、校外コンテストの代表は先生指名によるものが多いからだ。凡学生は参加する機会さえ与えられていないのだから、賞を取るのも限られた子だけである。つまり代表生たちは常に注目の的になり、絶えず賞賛を受け、どんどん伸びていくのである。まるで女優が注目を浴びることによって、きれいになっていくようだ!
一学年4クラス。たった120人の子どもたちが成績順にクラス分けされた。小学4年生進級のときである。長女は運良くか悪くか成績が偶然にも上位4分の一に入り特別編成クラスに入ることになった。しかし現実は厳しい。学年全体では上位に位置している彼女だが、そのクラスでは最下位である。担任の先生から叱咤される日々。まずは長女の顔から笑みが消えた。そして、自分自身もを失ってしまったかのようにやる気をなくした。言うまでもなく成績は降下した。学年末のクラス編成テストでは、故意にミスをして点数を下げるという小細工までしたのである。よって、5年生進級の際は普通クラスに格下げられた。
普通クラスに戻った長女の成績は上のほうである。すぐに学級委員に指名された長女はまるで水を得た魚のように潤いを取り戻した。6年生は持ち上がりなので、クラス替えの心配はない。気持ちに余裕が出てきたためか、勉強にも集中できるようになり、成績は右上がりに上昇した。卒業を半年に控えた今、ついに中学校を選択しなければいけない時期になった。
私と長女は彼女の特性をよく吟味して、ぎりぎりは入れるような学校ではなく、自分が自分でいられるような学校を第一希望として選んだ。いや、第一希望のみ選んだ。
一部の天才児を除けば、子どもたちなんてどんぐりの背比べである。石にかじりついて、有名校へ入学したからといって、充実したいい中学校生活が送れる保障はない。その子にあった学校とは言語、宗教、知名度、偏差値などの表面(おもてづら)ではなく、その子がそこでで如何に学び、そこで如何に伸びるかという学校ではないだろうか。
人に教えられながら学ぶ子と人に教えながら学ぶ子があることを我が子から教えられる。自分とは違う二人の娘たちの成長を楽しみに今日も「もう、いい加減にしなさい!!」の声が飛ぶ。

私から生まれ 私に似ているが 私ではない 私の息子   俵万智
『生まれてバンザイ』童話社

2011年1月16日
ある日の日記より