生きるとき、死ぬとき

数年前の暑い夏の日、私の大好きだった母方祖父の葬儀が盛大に行われた。葬儀の終盤では棺を開いて、死者との関係が近い順に花を添えてゆく。母は長女である。自分の番になると、「おじいちゃん、おじいちゃん」と、冷たくなった顔に手を当て号泣していた。後列にいる私はまだ花さえ握っていない。この一瞬時の光景が、今も脳裏に焼きついて離れない。
私の番がきた。あんなに大好きであんなに可愛がってもらったはずのおじいちゃんに対して、私は声をかけることも手に触れることもできず、形式的にその場を過ぎ去った。
時間の経過と共に、ようやく自分の中で、様々な事象を反芻し、「死者との距離」という命題について対峙する心の余裕がもてるようになってきた。
考えてみれば、母は、戦時中に生を受け、生家で産声を上げた。私は60年代の高度経済成長期の真っ只中、医療設備の整った鉄筋コンクリートの病院で誕生した。
私が初めて「死」と向き合ったのは、父方の祖父が亡くなったときだった。白黒の幕が庭の垣根に張られ、大きな家ではなかったが、おびただしい人たちが後から後から集まって、肩を寄せ合って祖父を天国へとを送り出した。当時、人は家で死んでいった。時代の変遷に伴い、人は病院で生まれ、再びそこで死んでゆくようになった。死者となった遺体は時として、二度と家へ帰ることなく葬儀場へ直行するのだ。

「人生で選択するとき」とは?

現代社会においてわれわれは様々な自由を与えられ且つ人権を保障されている。選べる幸福を享受すると同時に選ばなければいけない不幸を背負っていることも事実だ。しかし誰しも生まれる時代と生まれてくる家庭は選べない。それは宿命なのだ。
最近、妊婦には知る権利というものが与えられているそうだ。そして、産前検査では性別やら障害やらかなり正確な情報を得られるほど科学技術は進歩しているらしい。妊婦の選択する権利と子どもの生まれてくる権利。世の中には解決のできない問題が山積だ。私は子どもを生むときに、家で生むことに固執し、産科の先生とやりあった。素人のくせに生意気だと思われただろう。結果的には実現できなかったが、すぐに考え直した。若かった私は明らかに子どもをどう育てるかということよりもどう生むかにこだわっていた。
今秋、祖母が病院で亡くなった。あたかも自分の最期を予知していたかのように、亡くなる直前、他病院に長期入院中の息子との面会を切望した。伯父は一時退院許可をもらい数年ぶりに祖母と対面した。その時伯父は年老いた祖母に長男らしく「こちらのことは心配せず、安心して親父のところへ行けよ」やさしく声をかけた。
「人生で選択するときとは?」

2013年11月6日
ある日の日記より