『マリと子犬の物語』

ひろはたえりこ作 汐文社

私たち親子と新潟山古志村との出会いは、2008年にさかのぼる。
「あっ!日本の映画がやっているよ。」偶然通りかかった映画館で足を止めた。普段あまり映画を見ない私たちの目は、「中越大地震」と大きく書かれた文字 に、釘付けとなった。この年、中国四川省で大地震があった。[さんずいに文]村は丸ごと濁流に飲み込まれた。各地の小中学校の校舎は粉々に崩壊し、児童・ 生徒が生き埋めになった。たくさんの親たちは我が子を地震で失い、泣き叫んでいた。香港のマスコミは連日、これらの映像を繰り返し報道していた。
地震の規模はどちらも大きく、マグニチュード7であった。しかし、死傷者、建物崩壊の程度は比べものにならないものだった。私は瞬時に基礎工事の手抜きを思い浮かべた。中国の四川には「耐震」という概念が完全に欠落していた。
日本は元来、火山帯の上に位置し、古代から日本人はこの火山の恵みで国作りを行ってきた。言うまでもなく、自然には、それから受ける恩恵と等価の厳しい一面がある。地震はそのひとつだ。
人類を含めたあらゆる生物は、目前の障害物を回避または克服して前進しようとするものだ。日本は過去の数々の大地震で大きな被害を受けてきたが、その経 験を、次の都市計画や建築技術の向上に役立ててきた。中越大地震で死傷者を最小限に止められたのも、日本人の過去の教訓を生かす智恵の部分に起するところが大きいと思う。
話を映画に戻すと、長女と次女は新潟という地名も、大地震があったという事実も知らなかった。しかし「山古志村のマリと三匹の子犬たち」という題と、犬の写真ののったポスターに引かれるように、私たちは暗い館内へ足を踏み入れた。
館内は満席だった。3人並びで席が得られなかった為、長女は少し離れたところに座った。久しぶりにこんなに泣いたなぁと思うくらい私は泣いた。娘たちは映画が終わった後もしゃくりあげていた。上映前、私は当然日本語だろうと思い込んで席についたのだが、映画は中国語字幕ではなく、完全に広東語に吹き替えられていた。新潟山古志村の文化に触れる場面もたくさんあったので、日本語で見せたかったなぁと内心後悔した記憶がある。
私たち三人は目を赤く腫らして帰宅した。それから、私は長女の質問攻めにあった。「あれは本当にあった話なの?」「どうして犬はヘリコプターに乗せても らえないの?」「今でもマリは生きているの?」どの質問にも私は答えられず、生返事をしていた。長女からの最後の質問は鋭いところを突いていた。「あの 時、あの女の子はあんな言葉を言っていなかった!どうして?」彼女の話をよくよく聞いてみると、広東語の吹き換えで発していた台詞と、主人公の女の子の口 の動きで発していた日本語の意味が違うというのだ。私は、映画の翻訳は限られた字数で埋めなければいけないことや、前後の文脈、翻訳される言語の習慣、リ ズムなどによって多少のズレが生じることを説明しようと試みたが、彼女には全く理解されなかった。それどころか翻訳のズレを誤訳と誤解し、「私が見落とし ているところでも間違いがあるかもしれない。」と疑い出した。「お母さん、マリの本を買って! 読んでみないと気が済まない。」こうして、長女の原作探しが始まった。
その年の夏休み、長女は私より一足先に名古屋へ帰省した。彼女の頭は、「山古志村のマリ」でいっぱいだった。インターネットを使って検索することを知ら ない彼女は、本屋さんの店頭に並んでいるものしか購入できないと思い込んでいる。近所の書店に「マリ」はなかった。祖母と二人旅中も、通りがかった本屋さんには必ず立ち寄り、「マリ」を探した。何軒目かの本屋さんで彼女は遂に見つけた。『マリと子犬の物語』を。車に戻ると、一目散にページをめくった。楽し いはずの旅行なのに、本を読んでは涙を流す。そんな長女の姿に私の母は、「泣くんだったら、もうこの本読んじゃダメ!」本読み禁止令を出したのだった。
長女は、香港へ戻ってからも、毎日のように『マリと子犬の物語』を読んでいた。今度は父親から「泣くんだったら、寝る前には本を読むな!」と。しばらく時間が経過した。
ある日のことである。長女は思い出したように、「新潟ってどこらへんにあるのだろう」と地図帳で調べ始めた。「マリはまだ生きているのかなぁ…」と心配 そうにつぶやく。犬が健在かどうか私には知る余地もない。その上、地震から6年も経っている。誰に聞けば、どこに問い合わせれば、犬の生存が確認できると いうのだ。長女から、毎日同じ質問をされる私は、「そんなに知りたいならば、山古志村へ行って、マリを自分で探せばいいでしょ!」彼女の質問に誘発され て、私はとうとう最後の一言を言ってしまった。かくして、長女は新潟行きの通行手形を得、私たちの「山古志村へ行こう」計画が始まったのだ。
「山古志へ行こう」計画は、2010年2月、開始された。しかし、どこの誰に連絡をしたら良いのか見当がつかず、ただ「行きたい」という気持ちだけ抱いていても行けないという現実を悟った。何の情報もない私たち。『マリと子犬の物語』と地図帳だけが頼りである。長女は、もう一度注意深くかつ丁寧に本を読 み、糸口を探った。「あった!彩たちが自衛隊のヘリコプターで避難した場所、長岡の高校だって書いてある!」すぐに、新潟の地図を開き、長岡を探した。 「ある。ある。」長岡はとても大きな都市で、新幹線も止まる駅だった。
計画は順調に進んでいた。
私の強い要望で、名古屋の甥 涼太郎(6歳)も「山古志へ行こう」ツアーに参加することになった。いとこの涼太郎とは、あまり会う機会がない。時間に限りがあるため、私も娘たちも、日 本の家族と過ごすために、毎回、より楽しくより充実した内容が得られるよう、念入りに準備を行う。今回の三泊四日の旅は、涼太郎が初めて親元離れて過ごす旅行である。彼と彼の両親の不安を最小に、涼太郎の気持ちの膨らみを最大にするために、山古志旅行準備委員会は度々開かれた。今年4月、1年生になったば かりの涼太郎のために、次女はイラスト入りの持ち物リストを、長女は、予算と旅程表を作り、FAXで送った。
準備完了である。
2010年6月16日、私たちは山古志目指して旅立った。
山古志滞在中の出来事は、娘たちの日記に詳しく書かれているので、私は敢えて言及しないが、昨年の北京旅行同様、娘たちの感じ方と自分の感じ方が全く違うことに、改めて気付かされた。私は、被災地山古志を目のあたりにした。娘たちと共有した時間はとても楽しく、充実したものであったことは確かだが、それ と同じくらい地震のことが、私の山古志での記憶の大部分を占めた。
長女が予約をした三太夫のおかみさんは、私たち4人を大歓迎し、時間が許す限りあちらこちらへ連れて行ってくれた。民宿の料金にはドライブもオプショナルツアーも含まれていないはずなのに、毎日私たちを愛車に乗せ、山古志の特色を説明したり、復興前後の様子を語ってくれた。
「今日はお客さんが来るから、どこへも連れて行ってあげられないねぇ。」と言うこともあった。
「お客さん?じゃあ、私たちはお客さんじゃないのかなぁ??」
山古志会館という町の公民館で、私たちは地震のVTRを見た。あまりの被害の大きさに胸が詰まった。仮設住まい3年というから、本当に先の見えない生活だったのだろう。その間、山古志の人たちは、故郷山古志村へ戻れる日をじっと待っていた。「待つ」私が追求している教育テーマのひとつだ。山古志の人たち は「待つ」ことができた。「待つ」ことを放棄していたら、今の山古志は存在しない。
山古志伝統の錦鯉、牛の角突き、苦労して開墾した棚田。車両が入ることのできない棚田の復興は全て手作業で行われた。土いじり、豪雪地帯、長い冬を耐えて待つ、昔から続く伝統行事を今に残してきた山古志の人たちの「くじけない心」が復活を現実にさせた。
三太夫の本棚には、山古志村や地震に関する本がたくさんあった。私たちの部屋はちょうどその本棚の隣りだったので、三太夫滞在中、私は端からどんどん読 み進めていった。『国会議員村長、私、山古志から来た長島です』(小学館) 現在山古志村は隣りの長岡市と合併したため、この長島村長さんが(震災時の) 山古志最後の村長さんだ。本の中のいくつかの言葉が私の心にとても響いた。私はすぐ、ノートに書き留めた。

「地震は確かに山古志村を破壊しました。けれど、本当の破壊は、
村人の最後の一人までが希望を失ったときに始まるのだと思いました。
(中略)
この村にはお金で買えない豊かさや幸せが溢れているんです。
(中略)
2167人 山古志村民、地震による死者2人(犠牲者)
2004年10月23日 午後5時56分

『国会議員村長、私、山古志から来た長島です』
より抜粋

「今、二階にあったこの本を読んでいます。」私はおかみさんに長島村長さんの本を見せた。 「あーあーそれね!忙しいからあんまり家にいないんだよね。なんと、ここ三太夫は、長島村長さんの家だったのだ。私たちのごはんを作ってくれている厨房の お兄さんは息子さんで、こっちのちっちゃいのは、お孫さんという訳だった。私はこの偶然に大変驚いた。

全てを長女に任せた旅が終わった。彼女は、準備・実行・まとめの全部を意欲的に取り組んだ。 初めはマリに会いたくて、山古志旅行を計画した。最終日、私たちが山古志を離れる日、おかみ さんは親切にも、マリの家の横を通り、「ここがマリの家だよ。」と教えてくれた。長女は、その時点で、もう「車を降りたい」とか「マリに会いたい」とは言 わなくなっていた。マリのおうちのおじいちゃんは高齢で体の具合があまりよくないことを聞いたり、見ず知らずの旅行者が犬を見たいからという理由で突然押 しかけることは失礼だということを、彼女なりに理解したのかも しれない。彼女は既に山古志村からそれ以上のものを得ていた。そして、マリは彼女の中でずっと生きている。
あの1冊の本は私たちを山古志村まで運び、山古志村で感じさせてくれた。最後に、『マリと子犬の物語』に「ありがとう」、長女に「お疲れさま」を贈る言葉としたい。

横井ルリ子 2010年11月8日
『マリと子犬の物語』 ひろはたえりこ文(汐文社)
原作『山古志村のマリと三匹の子犬』 桑原眞二・大野一興(文藝春秋刊)