『ねこごよみ』

『ねこごよみ』たかくあけみ さく
「こどものとも 年少版」2001年1月号 福音館書店

1がつ、ひとりで もちをやく
2がつ、ころころ ゆきだるま
3がつ、さくらの サングラス
(中略)
めぐりめぐって、こたつとみかんの おしょうがつ

キレの良い短文、リズムのある言葉、文章と挿絵のコンビネーション、この一冊に、日本の伝統文化行事がぎゅっと濃縮されている。 限られた字教で適確な言葉を探し出すことは、至難の技である。私は読む人の想像力を疑っているのか、自分の表現力に自信がないのか、いつも長々と締まりの ない文章が並ぶコラムを書いてしまう。もう少し、私の中の文学細胞が増えたなら、俳句や短歌を味わうという雲を掴むような話を年頭の抱負と記すことができ るだろうに。
2010年が明けた。
私のお正月の記憶は 家族と共に過ごした子ども時代。母はお節料理作りに忙しく、父は餅つき、私たち子どもは、大掃除。家族全員が新しい一年を迎えるためにもち場を守っていた。大晦日、今年もあと数時間というときに、母に頼まれ、よく使い走りをさせられた。兄弟のうち一人ぐらいは年賀状の宛名書きに忙しい。せっかく並べたお節料理を猫が私たちより先に味見している。様々な風景が脳裏を過る。

不思議なことに、私の体の中に一番残っているのは、元旦の朝のにおいである。大晦日の晩は、ストーブの上で黒豆が煮え、部屋中、 何とも言えない熱気とそれぞれが休む暇なく動き回り、それでもまだ終わらないという不安からくる殺気が混ざり合った空気。一夜明けると、前夜の喧騒は微塵も感じられない元旦特有の静けさと頬をちくちく刺すようなあのピンと張り詰めた冷たい空気。

日本のお正月は、年々形骸化している。年末に日系スーパーへ買い出しに行くと、既製品お節料理の売り場面積の割合が少しずつ、増加しているのは気のせいであろうか。

私たちの暮らす香港で、娘たちに日本のお正月のにおいを感じさせることはできないが、せめて、私の作れるお節料理だけは、舌で記憶してもらうことにしよう。

2010年1月5日
ある日の日記より