『ドリトル先生航海記』(第2巻)

ロフティング著 岩波書店
井伏鱒二訳

毎年クリスマスが近くなると、O先生からずっしり重い小包みが届く。中にはぎっしりと本が詰まっている。『ドリトル先生航海記』  9歳の娘にはちょっと難しそうな分厚い本。O先生自身が「私が小学校三年生のときに読んだ本だから」という理由で入れてくれた一冊だ。しかしこの一年 間、本棚で誰の手にも触れられることなく眠っていた。

私はこの日そろそろいい時期だと思い、夜の読書タイムに『ドリトル先生航海記』を持参した。まずは私が第一章を音読する。娘は横で聞いている。今までもそうだったが長女はその後、次のお話の時間まで待ちきれず、さっさと自分で読んでしまうのだ。

「だいたい本ってね、最初の方は、そんなにおもしろくないんだ。でも、だんだんおもしろくなっていくんだよ。あの本もそうだったし、あの本も、あの本も・・・」これが彼女の持論らしい。

この日も私は私も読んだことのない『ドリトル先生航海記』を声に出して読み始めた。読んでも読んでも一向にドリトル先生は現れな い。今日はもうこの辺でやめておくよという私にしがみつくよう「もうちょっとだけ」と哀願する長女。ようやくドリトル先生とおぼしき人物が姿を現したとこ ろで私たちは本を閉じた。

翌日から彼女は続きを自分で読み進め、一週間もたたぬうちに読み終えてしまった。

これまで彼女の中で最高の位置にあった『十五少年漂流記』と『窓ぎわのトットちゃん』を上回るおもしろさだったと言うではないか。何が彼女をそんなに引き付けたのか、どの部分が感銘を与えたのか詳しく聞きたかったが、読者感想文口答質問をしているような気がしたので、私はすぐ様 口を貝にした。

「あーあもう読んじゃった。次の『ドリトル先生』が早く読みたい。」と長女がつぶやき出したちょうどその頃次の箱がO先生から届 いたのだった。開けてびっくり、なんとドリトル先生が顔をそろえているではないか。私は長女に「こなの気持ちがO先生に届いてよかったね」と言うと、「違うよ。わたしが、次もドリトル先生を送ってくださいってお手紙出したんだもん。」と答えるではないか。

長女は本が大好きだが、私自身は本が嫌いな子どもだった。だから小中学生時代の読書体験が根本的に欠如している。どんな本がどの 年令層の子どもに読まれているのか、この年齢に達したらあの本が読めるという選書知識にも疎い。ましてや、子どもたちがどんな思いを心に秘め、読書を楽しんでいるかなんてことは、想像もつかないのだ。

前述の『ドリトル先生』 は全12巻の長編シリーズものである。児童文学者の脇明子さんは御著書の中で、「一見難しそうに思われ 敬遠されがちな長編物語のほうが子どもたちにとって内容を想像しやすいよう詳しく描かれており、登場人物の個性もはっきりしている。だから子どもたちはまるで自分自身が体験しているかのようにお話に入っていける」と述べている。又、同時にシリーズものというのは、誰にとっても誘惑の存在。本選びが楽なので 容易に読まれやすいが、シリーズの全の本がよくできているわけではないと付け加えている。『ドリトル先生』シリーズは、読まずに子ども時代を終えるなんて もったいないと絶賛するほどのシリーズものだ。

私は未だ『ドリトル先生』を手にとれないでいる。やっぱりこの本は子ども時代に手にするべき本なのかもしれない。

2008年12月5日
ある日の日記より