父が教えてくれたこと

毎年、母の日が終わったかと思うと、あっという間に父の日がやって来る。私が親元を離れて今年で20年になる。人はひとりで生きられない。父からもらった心の栄養、感謝の気持ちを込めて贈りたいと思う。
私の父は太平洋戦争中に生まれた。5人兄弟の次男だったが、祖母は父のことをとても可愛がっていたように幼い私には映った。戦後の食糧難の時代に育った 父は、「戦争中は…」というのが口癖だった。父はとても厳しかった。特に箸の持ち方にはうるさかった。私たち兄弟はみんな父と一緒に食事をすることが苦痛 で、好きなおかずの味もわからないほどだった。
物心ついた頃、母はよく父にしかられていた。母が礼状を書き忘れたからだった。サラリーマンだった父には、お中元、お歳暮の時期になると大量の品物が届 き部屋の隅に山積みされていた。子どもだった私たちに嬉しいものはあまりなかった。「礼状は三日以内に投函せよ」という父の言いつけを守らなければ、ひど いことになるため、家には常に官製はがきが用意されていた。母は、『女性の手紙の書き方』なる本を参考に、「前略、拝啓…かしこ」などの文章を手本に万年 筆で丁寧に一枚一枚書いていた。
当時、私は口には出せなかったと思うが、たくさんの疑問をもっていた。母はヒロコと言う名前なのに、手紙にはなぜかしこと書くのか、父宛に届いた品物なのに、なぜ父は自分で礼状を書かないのだろうか。
かくして私も成人した。大学生の頃からだろうか、私はよく手紙を書く人となった。旅先で知り合った人、お世話になった人、親戚、恋人とまあに相手を選ば ず書きまくったのはこの時期だ。父の教えは確実に私の中に根付いて、今でも私は贈り物をいただくと3日め辺りからそわそわと落ち着きがなくなってくる。習 慣というものは恐ろしいものである。そして同時にありがたいものである。
かつて母にばかり命令し、自分では筆をとろうとしなかった父。定年退職後はとてもまめに、娘たちに手紙を寄こす。父と娘は良きペンパルとなっている。し かし、その内容がとても小学生相手だとは思えないくらい深く、濃く、しつこくて思わず噴き出してしまいそうだ。あまりに達筆すぎて、何が書かれているのか 解読できない娘に「声に出して読んで!」と頼まれるが、滑らかに舌がまわらず困窮してしまう。内容は家紋について、横井という姓の由来、フランスの詩人の ことば、碁盤の上にいくつか碁石が置かれた図の横に「あなたなら次の一手はどこに打ちますか?」と多岐にわたる。他人に強制していただけあって、父の返信 は迅速だ。娘が「わー、もう返事が来た。」と歓喜するほどだ。
今年の父の日、私たちはふたつの父子組で旅をすることにした。ひとつは父と私の組。もうひとつは夫と娘の組。ふたつの父子組で行く夜行列車の旅がもうすぐ始まる。