『ちからたろう』

『ちからたろう』 今江祥智 文  ポプラ社
田島征三 絵

私は生まれも育ちも名古屋、生粋の名古屋人だ。20年前、私が名古屋を離れるまで、私の周りには名古屋人しかいなかった。親戚一同もみんな名古屋在住の名古屋人だ。しかし、私はうまく名古屋弁が話せない。無理に話すとぎこちない。
方言の場合、ペラペラと、スラスラのどちらの修飾語を使うべきなのかとても迷うところだが、私は方言が流暢に話せる人は美しい、輝いている、うらやましいなあと心から思う。私は語学に長けている人や裕福な人、綺麗に飾っている人を見てもそれほどうらやましいとは思わない。他人は他人だと思うこともあれば、私だってがんばれば英語が上手になるかもと思うこともある。しかし、方言だけは、どれだけ憧れても、どれだけ努力しても、方言Nativeにはなれない気がする。だからこそ憧れもするし、うらやましいと思うし…そう言う人を恨めしいとさえ思うのだ。

これは、ひと昔以上も前のこと、私がまだ小学校の先生をしていたときの話です。私より1年遅れて新しい先生が日本から香港の日本人学校へやって来ました。当時私もかなり若い先生でしたが、私よりもっともっと若い先生が学校に入ってきたのです。女の先生でした。何となく*『二十四の瞳』に出てくるおなご 先生みたいな人でした。
私と同じ、二年生を受け持つことになりました。私はその前の年も二年生の担任をしていたので、二年生では何を教えるのか、どんな行事があるのか、子どもたちはどんな様子かなど既に経験していたからだと思います。
私が先生をしていた頃、学校ではお父さんやお母さんが授業を見に来る授業参観とは別に、先生同士で授業を見せ合う研究授業というものがありました。その研究授業に私の隣の組の若い女の先生は国語を選びました。単元は「ちからたろう」でした。その年、私は国語には自信が持てなかったので、生活科を選びました。パン作りです。私は子どもの頃からずっと国語が苦手だったのです。
よその授業を見に行くときは、自分のクラスを自習にして行きました。「隣で研究授業しているので、みんな静かにね。先生は6組にいます。」子どもたちにそう伝え、後ろのドアから6組の教室に入っていった。既にたくさんの先生が到着しており、授業が始まるのを待っていました。私は普段元気のいい子どもたちとどんな授業をするのかなと思いながら待っていました。
キーンコーンカーンコーンというチャイムと同時に国語の授業は始まりました。若い女の先生は、まず「ちからたろう」全文を朗読しました。東北地方出身の 女の先生は「ちからたろう」をとても自然に彼女の故郷のリズムかなと思わせる方言調で語ったのでした。私はその語りに吸い込まれるように聞き入りました。 その後、授業がどのように展開されていったかの記憶はありません。

10年という歳月を経て、あのときの憧憬が再び私の中に芽を吹き始めた。この日の作文教室の課題として、「今日はお隣に座っている人と向き合って、私は あなたの、ここが好きだというところを教え合いっこしましょう!」というものを設定、実行した。私の隣は最年少のすずちゃん、五歳。「すずちゃんから言いたい!」と言い張るので先を譲ったら、「すずちゃんは、横井さんの耳が好き!」とささやいた。雲をつかむような響きのこの発言。「耳」とは聴力のことなの か、それとも単に外見の姿形のことなのか、本人はきっと深く考えずに発した言葉だとは思うが、限りなく抽象的で驚いたが、全身の力がすっと抜けるような心地よさを味わった。私は目の前にいる彼女を正面から見つめ、短く深呼吸した。何かを期待しているようなまなざしでこちらを見ている。過去の嫉妬に似たあの 感情が姿を変えて、私のもとに再来した。私は「すずちゃん、私はすずちゃんの津軽弁が好きだな」と告げた。すずちゃんは何も言わなかった。含み笑いをしたきりだった。きっと彼女も故郷のことばに、私とは異なる特別な感情を持っているに違いないと確信した。

今の私は憧れだけだった方言を少し距離を置いて眺めることができるようになった。でも、でも、やっぱり血は争えない。十数年前の若い女の先生はすずちゃんのお母さんなのだから。

2009年3月8日 ある日の日記より
『二十四の瞳』壷井栄 ポブラ社文庫