あなたは神を信じますか?

神を信じない私。この世で一番信じられるのは自分自身だと思ってる。
*『かみさまからのおくりもの』は、子どもが生まれる前にいただいた絵本だ。当時は全く興味がもてず、娘が生まれるまで、何の意味ももたない本であった。神様から贈られたもの、すなわち、私は「生まれながらにして」と置き換える

あかちゃんが うまれるとき かみさまは
ひとりひとりのあかちゃんに おくりものをくださいます。
かみさまからのおくりものは てんしが はこんでくるのです。
(中略)
てんしがはこんできた おくりものは よくたべるでした。
あかちゃんは よくたべる じょうぶなこどもになりました。

*『かみさまからのおくりもの』抜粋 ひぐちみちこ こぐま社

子どもが生まれてから、改めてこの絵本を開いてみる。涙が溢れて止まらなくなるほど「何か」を感じる。そして子どもが生まれながらにして身につけている力の存在を肯定せずにはいられない。

私は中学・高校を筋金入りのクリスチャンスクールで過ごし、日曜学校と呼ばれていた教会にも欠かさず通っていた。それは私が信心 深いクリスチャンだったという訳では全くなく、単にその学校の校則のひとつとして、惰性で通っていたに過ぎなかった。結局、私は熱心な学校や教会の影響で洗礼を受けるということもなく、大人になった。

しかし、聖書を6年間学んだこと、キリスト教という宗教に関わり、歴史を学び、讃美歌を歌ったことは、大いに私の人生において影響を及ぼしている。当時、相当西洋にかぶれていた私は、19歳でパスポートを手にして以来、狂人のように世界中を駆け巡った。アメリカ、オーストラリア、 カナダ、スイス、イタリア、スペイン、フランス、オランダ、ベルギー、・・・・時間とお金の許す限り、私は一人で旅を続けた。各地を巡る中で、現地の人々と交流する機会にも恵まれた。訪れる先々で感じるのは、私の知らない宗教の世界だった。それは生活に根付いた見たことのないような世界だった。

先日、店頭で見かけ衝動買いをした雑誌に「宗教的習慣と子どもの人格形成」という論文が掲載されていた。神という超人的な存在を肯定することにより、安心感と畏れを子どもに植えつける。そして困難に遭遇したときに、宗教的習慣をもっている子どもは、それを試練、修行という意味のあることと受けとめて、うちなる自分に語りかける行為を行うとあった。

世界に宗教が存在しなければ、戦争が起こらないとも言われるが、苦しい時の神頼みという諺があるように宗教的習慣の効用は、困難、苦悩に直面したとき、顕著に表れるのかもしれない。とすれば、大きな問題に直面する前の年少時代から、宗教的習慣を身につけている子どもの方が、問題解決力が高いということになるのだろう。

話を元に戻して、かみさまから何かしらの贈りものをいただいた二人の娘は、私に「ねぇ、お母さんは、かみさまから何をもらった の?」しきりに聞いてくる。「それは私の父と母に聞いてください。」彼女たちは、手紙で、電話で、早速インタビューを開始した。父は私を「たくましい」、 母は私を「かしこい」と形容した。

うちの両親、還暦を過ぎても本当に親バカだ、と他人事のように思うのだった。一方、私は二人の娘たちにどんな形容詞を贈ろうか、日々ことば集めに精を出しているのである。

2008年10月14日の日記より